現場歴30年の視点から語る「建設業界のリアル」とは

ヘルメットの重みが肩に残る夕刻、現場を後にしながらふと思う。

この30年間、建設業界はいったいどれほど変わったのだろうか。

1989年、九州大学を卒業した私が鹿島建設の門を叩いたあの日から、業界は激動の時代を駆け抜けてきた。

バブルの熱狂、崩壊の衝撃、そしてリーマンショックの余波。

技術の進歩と人手不足の深刻化。

現場で汗を流し続けてきた一人の人間として、建設業界の「リアル」を皆さんにお伝えしたい。

華やかな完成式典の裏で、泥にまみれながら日本の基盤を支え続ける人たちの物語を。

バブルと共に始まったキャリア

建設現場の熱気と急成長

1989年春、私が社会人としての第一歩を踏み出した頃、建設業界は空前の好景気に沸いていた。

建設投資額は1985年の50兆円から右肩上がりで伸び続け、1992年には84兆円という史上最高額を記録。

現場には活気があふれ、「やればやるほど仕事がある」状況だった。

当時の先輩たちは誇らしげに語っていた。

「俺たちが日本を作ってるんだ」と。

実際、その通りだった。

バブル期の建設ラッシュは、現在の日本の都市基盤の多くを形作っている。

関西国際空港、東京湾アクアライン、数々の超高層ビル。

私たち若手技術者は、歴史に残るプロジェクトに携わる興奮と責任感に胸を躍らせていた。

若手時代の苦悩と学び

しかし、現実は甘くなかった。

朝は6時から現場に出て、事務作業が終わるのは深夜近く。

「24時間戦えますか」のCMが流れていた時代そのものの働き方だった。

先輩職人たちからの厳しい指導。

図面と現実の違いに戸惑う日々。

「大学で習ったことなんて現場じゃ通用しない」

そんな洗礼を受けながらも、物作りの現場で学ぶことの深さと面白さに魅了されていった。

職人の技術への敬意、安全への責任感、そして何より「完成させる」ことへの執念。

これらは今でも私の仕事への姿勢の根幹を成している。

「ゼネコン神話」とその光と影

バブル期の建設業界には確かに「神話」があった。

大手ゼネコンに入れば一生安泰。

技術力さえあれば仕事に困ることはない。

しかし、その神話には影もあった。

建設投資額(名目)は1992年には84兆円と高い水準で推移し、建設各社は業容を拡大させていった。しかし、土地を仕入れて建設会社自らが工事を造り出す「造注」により、その後の地価の値下がりなどにより大きな痛手を被ることになる。

不動産投機に手を出す企業。

無理な工期での受注競争。

安全より効率を優先する現場。

華やかな成長の裏で、後に大きな問題となる種がまかれていたことを、当時の私たちは知る由もなかった。

現場を支える人と技術

職人たちの矜持と葛藤

建設現場の主役は、間違いなく職人たちだ。

30年間、数え切れない職人さんと一緒に仕事をしてきた中で痛感するのは、彼らの技術への誇りと責任感の重さである。

鉄筋工の田中さん(仮名)は、私が若手の頃からの付き合いだ。

「図面通りに組むだけじゃダメなんだよ。この建物がどう使われるか、どんな力がかかるか、それを考えて組むんだ」

彼の言葉は、単なる作業と技術の違いを教えてくれた。

職人たちの技術は、長年の経験と感覚に支えられている。

コンクリートの練り具合を音で判断し、鉄骨の歪みを目で見抜く。

機械では測れない微細な変化を察知する能力。

しかし、そんな職人たちも時代の変化に戸惑うことがある。

「最近の若い子は、すぐにスマホで調べる。昔は先輩の背中を見て覚えたもんだがなあ」

技術継承の方法も、時代と共に変わらざるを得ない現実がある。

技術継承の難しさと現実

建設業界が直面している最も深刻な問題の一つが、技術継承だ。

現在、建設業就業者の35.9%が55歳以上。

一方で29歳以下は11.7%に過ぎない。

この数字が示すのは、技術を受け継ぐべき若い世代の圧倒的な不足である。

ベテラン職人が培ってきた技術やノウハウが、継承される前に失われてしまう危険性。

私自身、この問題に直面した経験がある。

型枠大工の名人と呼ばれた佐藤さん(仮名)が定年を迎えた時、彼の技術を完全に引き継げる若手がいなかった。

「30年かけて覚えた技術を、どうやって3年で教えろって言うんだ」

佐藤さんの嘆きは、業界全体の課題を象徴していた。

安全管理の進化と限界

30年前と現在を比較して最も変化したのは、安全管理への取り組みだ。

1972年の労働安全衛生法施行以降、建設業の死亡事故は大幅に減少している。

ヘルメット、安全帯の着用義務化。

KY(危険予知)活動の浸透。

安全衛生管理体制の強化。

これらの取り組みにより、現場の安全性は確実に向上した。

しかし、限界もある。

人間のミス、慣れによる油断、コミュニケーション不足。

これらの要因による事故は、依然として後を絶たない。

私が経験した中で最も印象に残っているのは、若手作業員の墜落事故だった。

安全設備は完備されていたが、一瞬の油断が命に関わる大事故につながった。

安全管理は技術の問題だけでなく、人間の心理や組織文化の問題でもあることを痛感した出来事だった。

時代とともに変わる現場環境

リーマンショックが現場に与えた衝撃

2008年9月、リーマンブラザーズの破綻が引き金となった世界同時不況。

その衝撃波は、私たち建設業界にも容赦なく襲いかかった。

それまで右肩上がりだった受注が突然ストップ。

民間工事の延期・中止が相次いだ。

「明日からしばらく休んでくれ」

下請け業者への連絡が相次ぐ中、現場監督として板挟みになった日々を今でも覚えている。

特に痛ましかったのは、多くの優秀な職人や技術者が業界を去っていったことだ。

家族を養うため、やむなく他業種に転職する人たち。

建設業界が長年かけて育ててきた人材が、一気に流出してしまった。

この時失った人材の穴は、現在の人手不足の一因にもなっている。

外国人技能実習生との共生と壁

人手不足の深刻化とともに、外国人技能実習生の受け入れが本格化した。

現在、建設分野では約14.4万人の外国人が働いている。

私が初めて外国人実習生と一緒に仕事をしたのは5年ほど前。

ベトナム出身のグエンさん(仮名)は、真面目で技術習得への意欲が高い青年だった。

しかし、言葉の壁は想像以上に高かった。

安全指示が正確に伝わらない不安。

文化の違いから生じる誤解。

日本人作業員との意思疎通の難しさ。

それでも、彼らの向上心と責任感は、多くの日本人作業員に良い刺激を与えている。

現場での国際化は、建設業界の新しい現実の一つとなっている。

ICT・DX導入による変化と課題

近年、最も目覚ましい変化を見せているのがICT技術の導入だ。

国土交通省が推進するi-Constructionにより、建設現場のデジタル化が加速している。

ドローンによる測量、ICT建機の活用、BIM/CIMの導入。

これらの技術により、作業効率は確実に向上している。

以前は2週間かかっていた測量作業が、ドローンとAIの活用により数日で完了。

ICT建機により、熟練オペレーターでなくても精密な施工が可能になった。

また、BRANUをはじめとする建設DX企業が提供するプラットフォームにより、施工管理や採用、マーケティングまでを統合的にデジタル化する動きも加速している。

しかし、課題もある。

新技術への対応に苦労するベテラン作業員。

初期投資の負担に悩む中小企業。

技術の進歩と現場の実情の間にあるギャップを埋めることが、今後の重要な課題となっている。

建設業界が抱える根深い課題

労働時間と過重労働問題

建設業界の「働き方」は、長年にわたって社会問題となってきた。

2024年4月から適用された時間外労働の上限規制(月45時間・年360時間)。

この「2024年問題」は、業界に大きな変革を迫っている。

現実として、建設業の年間実労働時間は他産業より346時間も長い。

工期の制約、天候による作業の遅れ、人手不足による負担増。

これらの要因が重なり、長時間労働が常態化している現場は少なくない。

私自身、若い頃は月100時間を超える残業も珍しくなかった。

「建設業は特殊だから仕方ない」

そんな言い訳がまかり通っていた時代もあった。

しかし、それでは若い人材は定着しない。

働き方改革は、業界の持続可能性に直結する重要な課題なのだ。

若手不足とミスマッチ

現在の建設業界が直面している最も深刻な問題は、若手人材の不足だ。

  1. 29歳以下の就業者はわずか12%
  2. 新規学卒者の入職者は2024年に3.8万人(11年ぶりに4万人を下回る)
  3. 一方で55歳以上が37%を占める高齢化

この数字が示すのは、近い将来に大量退職を迎える現実だ。

若手が建設業界を敬遠する理由は明確だ。

「きつい、汚い、危険」の3K イメージ。

長時間労働への不安。

キャリアパスの不透明さ。

しかし、実際の建設現場は大きく変わっている。

ICT技術の導入により、肉体労働の負担は軽減された。

安全管理の徹底により、事故率は大幅に低下している。

このギャップを埋めることが、人材確保の鍵となる。

業界構造と発注システムの矛盾

建設業界特有の多層下請け構造も、様々な問題を生んでいる。

元請け→下請け→孫請け→ひ孫請け。

この構造により、末端の作業員まで適正な利益が還元されない場合がある。

また、公共工事の入札制度にも課題がある。

「最低価格での落札」が優先される現在のシステムでは、品質や安全性の確保が困難になることもある。

適正な工期と予算の確保。

技術力を正当に評価する仕組み。

これらの改善なくして、建設業界の真の発展はあり得ない。

発注者、受注者、そして社会全体で考えるべき課題だと思う。

「現場を伝える」という使命

なぜ現場経験者が書くのか

50歳を前に、私が文筆業に転身した理由。

それは、建設現場の声を社会に伝えたいという強い思いからだった。

メディアで報じられる建設業界の姿は、しばしば表面的だ。

事故が起きれば「危険な業界」として批判され、人手不足が報じられれば「3K職場」として敬遠される。

しかし、現場で働く人たちの誇りと技術。

社会基盤を支える責任感と使命感。

そして、ものづくりの喜びと達成感。

これらの「リアル」は、現場を知る者でなければ伝えることができない。

大学の講義や書籍だけでは決して理解できない、現場の温度や空気感。

それを文章に込めることが、私の使命だと感じている。

記事や番組を通して見せた「建設の裏側」

この10年間、様々な媒体で建設業界の実情を発信してきた。

NHKの特集番組への原案提供。

業界誌での技術継承に関する連載。

一般向けメディアでの労働環境改善についての解説。

読者からの反響で印象的だったのは、建設業界への理解が深まったという声だった。

「建設現場で働く人たちの苦労がよく分かった」

「息子が建設業に就職すると言ったとき、最初は反対したが、記事を読んで応援したくなった」

こうした声こそが、私が文章を書き続ける原動力となっている。

現場からの提言:「建設」はもっと人に近づける

30年間の現場経験を通じて確信していることがある。

建設業界は、もっと多くの人に愛され、尊敬される産業になれるということだ。

そのために必要なのは、以下の取り組みだと考えている。

まず、働き方の改善と労働環境の向上。

週休二日制の完全実施、適正な工期設定、ICT技術の活用による省力化。

これらにより、「働きやすい業界」というイメージを確立する必要がある。

次に、技術継承システムの構築。

ベテランの知識と技術を体系化し、効率的に若手に伝える仕組み作り。

そして最も重要なのは、建設業界の魅力と価値を社会に発信すること。

私たちが作り上げた建物や道路、橋梁は、何十年にもわたって人々の生活を支えている。

その誇りと責任を、もっと多くの人に知ってもらいたい。

まとめ

30年の現場経験が語る建設業界の真実

バブルの熱狂から始まり、リーマンショックの試練を乗り越え、現在のDX時代まで。

建設業界は常に変化し続けてきた。

技術は進歩し、安全性は向上し、働き方も改善されつつある。

しかし、変わらないものもある。

ものづくりへの情熱と誇り。社会基盤を支える責任感。そして、完成への執念。

これらは、建設業界で働く人々の根幹にあるDNAのようなものだ。

30年間現場に立ち続けて分かったことは、建設業界の真の価値は数字や統計では測れないということ。

現場で流す汗と、完成時の達成感。

職人たちの技術への敬意と、安全への責任感。

これらの「人間的な価値」こそが、建設業界の本当の財産なのだ。

変わるべきこと、守るべきこと

しかし、課題も明確だ。

働き方改革の推進、若手人材の確保、技術継承システムの構築。

これらは、業界全体で取り組むべき喫緊の課題である。

一方で、守るべきものもある。

職人の技術と誇り。

安全への責任感。

ものづくりへの情熱。

変化を恐れず、しかし本質は決して見失わない。

それが、建設業界の進むべき道だと考える。

若手が誇りを持てる業界へ向けて

最後に、これから建設業界を目指す若い人たちに伝えたい。

この業界は確かに厳しい。

しかし、それ以上にやりがいがある。

自分の手で作り上げた建物が、何十年にもわたって人々の生活を支える。

その感動と誇りは、他の業界では決して味わえないものだ。

建設業界は、あなたたちを待っている。

新しい技術と古き良き職人魂を融合させ、次の30年を共に歩んでいこう。

それが、現場を愛し続けた一人の人間からの、心からの願いである。